技術も、お金も、機械もない。そこから始まった農園です。宮古島で8farmを営む増田充宏さんと、妻の結衣さんに、就農までの13年と、いま一緒に働いている人たちのことを聞きました。
「今動かないと、やばいな」

増田さんには、ずっと胸にあった思いがありました。自分で何かをやりたい。業種は問わない。ただ、それだけです。やりたいことが決まっていたわけではありません。何をやるかより先に、自分でやる、という形だけがありました。だから、なかなか動けませんでした。
「ビビって、ビビって、一歩踏み出せなくて」
いつかやりたい、いつかやりたい。そう思ったまま時間が過ぎていきました。踏み出せない理由は、そのつど見つかります。変わったのは、子どもが生まれるとわかったときでした。これからは仕事をころころ変えるのも難しくなるかもしれない。いま動かなければ、たぶんずっと動けない。そう思って、奥さんに打ち明けました。
止められるかもしれない、とは思わなかったのでしょうか。返ってきたのは、背中を押す言葉でした。早くやれ、と。では、何をやるのか。ここで初めて、中身を考えることになります。
宮古島は農業が盛んな土地です。そして増田さんは、これまでの仕事で農業にちょこちょこ関わってきました。自分にやれることは何だろう。そう考えたとき、答えは目の前にありました。
鹿児島から、島を1つずつ見て回った

もともとは関西の人です。宮古島にたどり着くまでの経緯が、また変わっています。きっかけは、久しぶりに神戸に帰ったときでした。
「町すぎて、ちょっと嫌かなみたいな。もうちょっと静かなところに行きたいなみたいな感じで」
将来、結婚しても神戸に住む気がない。そう相談すると、奥さんは「別にいいよ」と受け止めてくれました。どうせ行くなら沖縄がいいね、という話になります。
ふたりとも、九州や沖縄の空気感が好きでした。そこは、もともと合っていたのだといいます。そこからが、この夫婦らしいところです。いきなり移り住むのではなく、鹿児島から島を1つずつ見ていきました。フェリーが出ているところは、フェリーで降りて、歩いて、また次へ。奄美をまわり、沖縄本島まで行き、そこから飛行機で石垣島へ。
「ちゃんと1個1個見てから決めよう、っていう」
そうやって最後に来たのが宮古島でした。若いころに一度来たことはあったものの、だいぶ様変わりしていて、あまり期待はしていなかったそうです。
それが、来てみたら「なんかいいや」となりました。意外なことに、海は決め手ではありませんでした。
「別に、宮古島の海が綺麗だから住みたいとかはゼロ」
では何が決め手だったのか。ふたりとも、島にルーツがあります。おばあさんが島の人で、さらにその先も離島でした。幼いころに親戚を訪ねて島へ行った記憶があり、大人になってからも足を運んでいます。
いつか島に住みたい。その気持ちが、ふたりのあいだで最初から一致していました。とはいえ、すぐ一緒に移ったわけではありません。先に来たのは増田さんだけでした。奥さんは神戸で仕事を続け、3年半ほど離れて暮らしています。
その間、2か月に1回は宮古島へ来ていたそうです。遊びに来るうちに、島の見え方が変わっていきました。
「ここなら住めるな、住みたいなって思ったのは、もちろんありました」
合流したのは、結婚してからでした。
ゴーヤ、メロン、マンゴー。年じゅう何かが実っている

8farmが育てているのは、ゴーヤ、ピーマン、メロン、玉ねぎ、マンゴー、パイナップル、オクラ、かぼちゃ。ひとつの作物に絞らず、幅広くつくっています。
種類が多いぶん、年間を通してどこかで何かが動いています。時期によって手のかかる作物が入れ替わっていく畑です。就農したのは6〜7年前。宮古島に来てから、6年ほど経っていました。その間が、さきほどの「ビビって動けなかった期間」にあたります。
始めたときの状態を、増田さんはこう振り返ります。
「技術もないし、もちろん裕福なわけでもないんでお金もないし、機械もないし。本当に何もなかった」
何もない、というのは言葉のあやではありません。農業の技術も、元手も、機械も、本当に持っていませんでした。それでも、動き出してみると景色が変わりました。
「やろうって決めたら、ゴロゴロゴロって転がっていったっていうか。まあ、転がしてくれた人がいっぱいいたんですけど」
この「転がしてくれた人」という言い方は、増田さんの話に何度も出てきます。四国にいたころも、宮古島に来てからも、周りの人に恵まれてきたという感覚があるようです。
ちなみに前の仕事は、ビニールハウスを建てる仕事でした。農業そのものではありませんが、農業の現場には絡んでいます。その前は、オーストラリアでアボカドを収穫していました。四国では、出会った人のところで米づくりを手伝わせてもらっています。どれも腰を据えた農業ではなく、ちょこちょこ関わってきた、という程度のものでした。
ちなみに、いま農作業所にいる愛犬の名前はマリーバといいます。オーストラリアの地名からとったものだそうです。通りすがりのつもりだった土地の名前が、いまも毎日そばで呼ばれています。それでも、振り返ってみたら嫌いじゃなかった。だから続けられるかもしれない。就農の決め手は、そのくらいの手ざわりだったそうです。
求人を出したことが、一度もない

いま一緒に働いているのは、通年で来てくれる方が1人。それに加えて、毎年決まった時期に来てくれる方が1人います。忙しい時期には、増田さんを含めて4人になります。
人の集まり方を聞いて、驚きました。
「求人をかけたこと、一度もないですね」
絶えず募集を出している、ということもありません。働きたいんですけど、と直接声がかかる。あるいは、いい人がいるけどどう、と誰かが連れてくる。そうやって人がそろってきました。
集まった人たちのことを、増田さんはこう話します。
「みんな農業に対するモチベーションがしっかりあって、作業もテキパキやってくれて、人間的にもいい人ばっかり」
毎年来てくれる方は、もう4年ほど続いています。和歌山で梅、京都で別の作物、というふうに各地をまわっている人です。その人が宮古島にいたいと思うタイミングと、8farmが人手を必要とするタイミングが、たまたま合う。だから毎年続いている、というだけの話なのだそうです。
初めて人を雇ったのは、2年目か3年目のこと。正直、怖さもありました。それでも期間が決まっていたこともあって「やってみるか」と踏み切ります。
やってみると、思っていたのとは違う発見がありました。
「人がいたら楽しいし、一緒にできる仲間がいて、っていうので。もちろん、その人の給料を出すために思考も回るし、いろいろ考えられるし。新しいことにもチャレンジできる」
人を雇うと、責任が増えます。けれど増田さんにとっては、それが考えを前に進める力になりました。2人だけで続けていたら、きっと縮こまっていた。そう話していました。
簡単な作業から、少しずつ

いま働いているメンバーの経験は、まちまちです。最初に来た方は未経験の女性でした。毎年来てくれる方は、実家が農家という経験者の男性。いま通年で来ている方は未経験の男性で、都合が合えば来てくれる方は経験者の女性です。経験のある人とない人が、半々くらいで混ざっています。
未経験でも大丈夫なのでしょうか。
「まずは簡単な作業から、どんどんステップアップしていくんで。それはそれで楽しめるかなと思う」
作業そのものは、何種類もあります。ひとつずつ持ち場が増えていくので、覚えていく過程も楽しめるはずだ、という考え方です。速さを上げようと思えば、慣れが必要になります。ただ、そもそもできない作業というのは、ほとんどないのだといいます。
「これ出来ない、みたいなのはほぼないと思います」
きつさについても、増田さんは正直でした。
「大変だねって言われるけど、確かに、涼しい部屋で座って仕事するよりかはきついですけど。それとは違った楽しさもあるというか」
楽ではない。そこは隠しません。そのうえで、室内の仕事にはない別の面白さがある、という言い方でした。
来られる時間に、来てもらう

働き方は、人によって違います。平日にフルで働ける人は、8時から17時半まで。一方で、子どもを育てている人もいます。そういう場合は、来られる時間に来てもらう形にしているそうです。
シフトを先に決めて、そこに人を当てはめるのではありません。順番が逆になっています。
「来られる時間、その時間によって、僕が仕事を割り振ればいいだけなんで。進め方を考えればいいだけなんで」
合わせてもらうのではなく、合わせる。作物の種類が多く、作業もいくつもあるからこそ、割り振りようがあるのかもしれません。人数の少ない農園だからできること、とも言えます。制度として書かれているわけではありませんが、働く側にとってはそこがいちばん大きいはずです。
「農業って、飯食えるの」に答えたい

増田さんのところには、農業をやりたい人からの相談が届きます。農業やりたいんですけど、ちょっと話を聞いてくれませんか。そんなふうに声がかかるのだそうです。言い方は人それぞれですが、話していくと、みんな最後は同じところに行き着きます。
「農業って飯食えるの、家族養えるの、っていう。この根本の部分がみんな、やっぱりネックになってるなっていうのはすごい感じる」
作物のつくり方ではなく、生活が成り立つのかどうか。そこで止まってしまう人が多い、ということです。増田さん自身が13年ためらっていたのですから、その気持ちはよくわかるはずです。
その問いに、8farmは答えられる立場にいます。何もない状態から始めて、いまは食べていけるようになったからです。
「自分らの、何もない状態からスタートしたっていう強みとかもあって」
ゼロから始めた人にしか言えないことがある。それを強みだと捉えているところが、この人らしいと思います。宮古島に助けられ、周りの人に助けられてここまで来た。だから何かを返したい。自分たちがやっているのは農業だから、農業で返す方法を考えたい。これから力を入れたいのは、就農したい人を支えることだといいます。
もうひとつ、楽しみにしていることがあります。地域の人との時間です。収穫体験をやらせてもらうことがあって、それがいちばん楽しいのだと話していました。
「作物を育てるのも楽しいけど、やっぱり、人に喜んでもらえるのが一番嬉しいんで」
じゃあ自分たちに何ができるんだろう。そう考えたとき、数えられるものがいくつもありました。作物がいっぱいある。いろんな時期に、いろんな作物がある。だから人も研修に来やすいし、子どもと一緒に収穫することもできる。
自分たちの強みを見つけながら、楽しい方へ進んでいきたい。そう話す姿からは、「ビビって動けなかった」という13年が、遠い昔のことのように聞こえました。
島しごと図鑑


